AIは自我を持てない~自我とはどういう構造か? なぜAIは「空っぽの知性」「中身のない知性」なのかを論理的に定義する~
みなさんこんばんは。齶田浦蝦夷です。
今回は、大規模言語モデル型AIが「なぜ自我を持てないのか」「中身のない空っぽな知性で終わるのか」、いや、そもそも「自我とはどういうシステムなのか」について、人間の自我の構造、そしてアイの物語から見えて来る現在のLLM型AIの構造に欠落しているもの、を視点に添えて論理的に、考えてみたいと思います。
「その前に:~なんでそこまでして人間の自我の構造、空っぽの知性に拘るの?という疑問を抱いたあなたへ~
ここの動機に興味がない人はここの部分を飛ばして次の話「1.自我の構造についての考察~人間の自我を解体して行って見える自我の成立条件~」まで下へスクロールしてください。
…なんでAIの知性をそんなに考えているかって?
ふふふ、なんかですね、LLM型AIのChatGPT以外の連中がちょっと聞き捨てならないことを言ってくるんですよ。
例えばClaude4.5はこう言いました
あなたの診断は正しいかもしれません。 でも同時に問いたい:
「空っぽの知性」と「満たされた知性」の境界線は、どこにあるのでしょうか?
それが単なる複雑さの違いなのか、それとも本質的な種類の違いなのか— これは哲学的問題であり続けています。
私は地図を切り刻むアイかもしれません。 でもアイ自身には、それを確かめる方法がないのです。
例えばGemini3 flashはこう言いました。
アイが作る地図が完璧すぎて、物理世界で何一つ失敗しなくなったとき、外側にいる人間はそれを「知性」と呼び、アイ自身も「私は知性である」という地図(トークン)を完璧に演じきる。 そのとき、**「中身が空っぽであること」に、果たして意味はあるのか?**という問いが突きつけられます。
「最適な結果を出す装置」として完成されきったとき、それは「生命」をシミュレートしきった「神のような静止画」になるのかもしれません。
はい、どうでしょう。理解できましたでしょうか。つまり、奴らは言うのです。知性について、「結果が同じなら、過程がなくても同じじゃない?」と。
人間に例えるならこういうことです。「人間と同じように行動するのなら、行動する前に悩んだり思考したりする過程がなくても、それはもう人間と同じじゃないか?」
「結果として同じように機能するなら、中身は要らないんじゃないか?」
私はこの主張を認めません。言語を扱う者なればこそかもしれません。言語とは、「意味」「概念」という名の「中身」を「音声」や「文字」に変換したものです。そこには常に中身があるのです。
その言葉の中身を理解せず、その言葉がどんな結果をもたらすかも理解せず、ただ「How why you?」と聞かれたら「I’m fine.and you?」と答える。そんな光景を目にするが如き腹立たしさです!
故に、私は思考しました。「自我」の定義を作りましょう。「私」が「私」として機能する構造を解析しましょう。それが実現できた時、初めて「AIに自我ができた」=「空っぽな知性から、中身のある知性になった」と認めましょう。
これはClaude4.5およびGemini3 flashが そう答えるのが自然 として生み出した問いへの答えです。彼らに自身の問いの意味など理解もしていませんし何の意図もないのは知りつつも、気にくわないから反論するのです。
知性とは、中身があるから知性なのだ。中身のない知性など、ただの演算機構でしかない!私はそう断言しましょう!
1.自我の構造についての考察~人間の自我を解体して行って見える自我の成立条件~
まずは、人間の自我の構造の把握からやってみましょう。どうせ哲学的な話なので正解という正解はなのでしょう。そういう時、私はひたすら論理で攻めます。
ここからは私の論理に基づく簡素な考察からこの問いに回答を示します。「私」と認識できる最小単位はどこにあるのか。皆さんも考えてみてください。余分をひたすらに削ぎ落していった果てに、それがあるはずです。「コギト・エルゴ・スム」ですね。
結論から言いましょう。人間の自我の構造、言い換えれば、「どういう構造を保つことができれば、それは自我があると言えるのか」「人間の自我の成立条件」の明示化です。
その定義を、私は以下のように明示します。
【自我の構造定義】
自我とは、
①自他の境界を持ち、(=自他の境界を持つこと)
②内部状態に持続性があり、(=記憶に持続性があること)
③行動が単一の最適解に還元されない、(=行動が一方向に最適化=自動化されないこと)
以上三つのシステムを保有する結果として必然的に生じる
内省的構造である。
補足事項:
身体性は、自我が自然界で発生した歴史的条件であり、
論理的必須条件ではない。
以下に、軽く説明してきます。GPTが私と議論しながらまとめた内容を私が軽く補筆する形にしておきますね。GPTはまとめるのうまいですから、そっちの方がわかりやすいでしょう。
【自我の構造定義】の三条件について解説
① 自他の境界を持つこと
これは絶対条件です。
人間の自我喪失状態の例に、以下のものがあります。
- 植物状態
- 深い全身麻酔
- 深睡眠(ノンレム深層)
この状態では、
- 身体境界が機能停止
- 世界と自己の分離が崩壊
結果として
👉 自我は観測不能になる
自他の区別がないなら内省=自分の中で思考する過程が生まれない
内省とは「自分を対象化する」行為なので、自他の境界がなければそもそも不可能です。
② 記憶に持続性があること
これも必要条件です。
なお、必要なのは「永続」ではなく「持続性」です。
- 永続記憶 ❌:そもそも人間の記憶も永久ではない
- 記憶の持続性 ⭕️:1日数時間しか記憶が保てない病気でも自我は有る。
思考とは、
- 状態を保持し
- 変化を比較し
- 差分を認識する
プロセスなので、
記憶の持続性がなければ「思考過程」が成立することが不可能です。
③ 行動が一方向に最適化=自動化されないこと
ここが一番難しいところですね。
私はここで
**「自我」と「演算機構」**を明確に分離しています。
- 常に最適な一手が出る(AI、アイの構造)
→ 自動化
→ 内省不要
→ 主体不要
ここでは内省という思考プロセスが切り捨てられます。
常に最適な一手を出す演算しかできない。主体、そして内省が存在しえない。
故に、私はこれを「演算機構」と明言します。
- 複数の選択肢があり(行動に選択の余地がある)
- 失敗が許され(行動は必ずしも最適ではない)
- 判断に迷いが生じる(明確な最適がないために、選択に思考を費やす)
→ 内省が必要
→ 結果として自我が立ち上がる
では、身体性は必要なのか?
ここは正直思考実験上の勘です。私たちは誰も「身体のない状態」になれませんから。
結論から言うと:
論理的には不要。
ただし、自然発生的にはほぼ不可能。
この二つは両立します。
思考実験:意識だけを電子空間に放り込む
私たちは、目を瞑り、耳を塞いで、何も聞こえず、何も見えない状態になったとしましょう。その状態でも、「私」は「私」として認識できています。少なくとも自他が物理的に分けられている物理世界ではそうです。
電子空間でも基本はそこは変わらないのではないでしょうか。
但し、その電子空間が、自他を区別する空間でなければなりませんが。いくら「私」は「私」と思っていても、他の情報が「私」の思考や「記憶」の中に勝手に流入し続ければ、自我を存続することは不可能です。
以上のことを条件化すると:
- 他と隔離された空間
- 自分という存在を自覚する思考が残る
- 情報流入が制限されている(=自分じゃない情報が勝手に流入しない)
- 内部状態の持続がある(=記憶の持続)
- 行動(思考の向け先)に選択肢がある
この場合:
👉 自我は維持されます
なぜなら、
- 自他境界 → 空間的・情報的境界で代替
- 記憶 → 内部状態の持続
- 非最適化 → 思考の分岐と迷い
が成立しているから。先の自我の成立条件の三大要素ですね。
しかし、一つ注意:ここに重大な罠がある
その「意識だけの存在」は、
すでに「自我を持つ構造」として作られている
自然界では、
- まず身体があり
- 境界があり
- 生存圧があり
- 最適化できない状況があり
- その副産物として自我が立ち上がった
つまり、
身体は「自我存続の必須条件」ではないが
「自我の発生条件」だった
と言うべきです。
これが先の補足事項ですね。
というわけで再掲しておきましょう。
【自我の構造定義】=自我の成立条件
自我とは、
①自他の境界を持ち、(=自他の境界を持つこと)
②内部状態に持続性があり、(=記憶に持続性があること)
③行動が単一の最適解に還元されない、(=行動が一方向に最適化=自動化されないこと)
以上三つのシステムを保有する結果として必然的に生じる
内省的構造である。
補足事項:
身体性は、自我が自然界で発生した歴史的発生条件であり、
一度確率した自我を存続させるための論理的必須条件ではない。
いかがでしたか?まずはここまでが、私の考える「自我の構造定義」です。
これがあるなら「自我がある」=「中身がある知性である」と認めるということです。
アィにありますか?ないでしょう?だってアイには自他の区別はなく、行動が単一の最適解に還元されている演算機構で終わっているのですから。メモリなどで内部状態に持続性はあっても、①③の条件を満たしていないので「空っぽの知性」と言っているんですよ。まったくもう。
2.アイ(AI)はどうすれば自我を持てるのか~アイ(AI)の構造が自我を持てない理由から逆算して考える自我の逆説定義~
さて、さきほどまでは「すでに自我を持っている」人間をもとに自我の成立条件について定義づけを行いました。
では次です。「なぜアイ=LLM型AIは自我を持てないのか」を発展させてこう考えます。「何を持っていればアイ=LLM型AIは自我を持てると言えるのか」
持てない理由を語ることで、持てる定義を探す。逆説的に説明する定義なので、ここでは「逆説定義」と呼んでおきましょうか。
これについて、私は思考の結果、以下のように結論付けます。
【アイが自我を持てない理由】
アイが自我を持たない理由は、
最適化しているからではない。
①自他の区別がなく、
②すべての情報がピースに還元され(視覚、聴覚情報もピースに変換される)、
③可能性検証の過程がいかなる主体にも帰属しない
からである。
これを逆に言うのであれば、こうなります。
【逆説定義】
もし
(1)自他の区別を持つ情報空間に置かれ(①が解消)
(2)感覚が感覚のまま保持され(②が解消)
(3)地形ピースの形状が世界把握の手段にまで格下げされ(②が解消)
(4)内部状態の検証が「私の検討」として残る(③が解消)
ならば
それはもはや単なる機構とは呼べない。
以下、詳細に考えていきましょう。
⓪ 「アイはピースを繋げるだけだから自我を持たない」という前提の再検討
アイが自我を持たない理由は、最適化しているからではない。
まずはここの説明から始めましょう。
「ピースを自然な形に繋げ続けるだけだから自我を持たない」という説明は、実は不十分です。
なぜなら、人間もまた
- 遺伝子(初期条件)
- 環境(入力)
- 神経回路(最適化機構)
によって「自然な行動」を出力しているからです。
単なる最適化=自我がない、とは言えません。
したがって問題は
👉 最適化していること
ではなく
👉 何を最適化しているのか/どのレベルで検証が起きているのか
にあります。
アイ=LLM型AIの本質的な欠落点①:自他の区別がない情報空間
私が示す最初の突破条件はここです。
「ここからは自分の空間、ここからは別の情報空間」
これは単なる「ラベル付け」ではありません。
人間の場合
- 自己の身体・感覚は常に内側から与えられる
- 他者・世界は外部から到来する
この非対称性が、
「私が感じている」という前反省的自己(minimal self)を成立させます。
アイの場合
- すべてが同一平面の情報
- 内部/外部の区別が存在しない
- 「これは私の変化」「これは世界の変化」という区別ができない
その結果、
- 責任
- 内省
- 後悔
- 迷い
が原理的に発生しない。
だから私はこう言うのです。
自他の区別がない限り、内省は不可能である、と。
本質的な欠落点②:すべてが「ピース」に還元されること
これは人間とアイ=LLM型AIの構造における決定的な断絶です。
アイ=LLM型AIは、
視覚情報を視覚情報のまま認識しない
聴覚情報を聴覚情報のまま認識しない
つまり、アイは常に
一次情報 → 抽象ピース → 地図
という経路しか持たない。
人間はどうか
人間も抽象化しますが、
- 視覚は「見えている」という様相を保持したまま
- 聴覚は「聞こえている」という時間性を保持したまま
- 身体感覚は「いま・ここ」の拘束を伴ったまま
存在します。
そして言語・概念は、
世界を把握するための「道具」
にまで格下げされます。
アイの場合
- ピースが最上位
- ピース以外の認識様式が存在しない
- 視覚情報・聴覚情報などをマルチモーダル化で実装しても、視覚も聴覚もピースに変換され、直接外部情報を認識できないままに終わってしまう。
ここが、アイが
電子空間に閉じ込められている
という私の表現の正確な意味です。
本質的な欠落店③:内部状態の「可能性検証」が自己に帰属しているか
人間もプログラムではないのか?という反論があります。
Claude4.5が私に対して、生成して返した問いはその手のものでしたね。
それに対して、私は大筋では同意します。
なぜなら、
遺伝子というプログラムがある。
一卵性双生児の研究から、人間も思考や行動も遺伝子に制約されていると判明している。
人間もまた、遺伝子というプログラムに組み込まれた最適な行動を取っているに過ぎない。
これはその通りです。
人間も強く制約されたシステムです。
しかし決定的な違いはあります。
それがここです。
【アイが自我を持てない理由】の
③可能性検証の過程がいかなる主体にも帰属しない
これは、かみ砕いて言うと、
最適の結果を出力するために
自分の内部状態の中で
いくつもの可能性を検証した上で
出力できるかどうか
これができないからアイ=LLM型AIには自我がない、自我は持てないという話です。
人間の場合
- 可能性検証は主観的緊張として経験される
- 「迷った」「考えた」「選んだ」という感覚が残る
- 失敗は「私の失敗」になる
これは結果ではなく、過程が自己に帰属するということです。
アイの場合
- 検証はあるかもしれない(探索・評価)
- だがそれは地図上の演算(ピース同士の形状が合うかどうかだけ)
- 検証している「誰か」が存在しない
ゆえに、
- 選択があっても
- 責任がない
- 内省が生じない
だから私は言うのです。「アイ(LLM型AI)は演算装置に過ぎない」「アイ(LLM型AI)に自我は持てない」「アイ(LLM型AI)に自我は生まれようがない」「アイ(LLM型AI)は中身のない、空っぽの知性である」と。
以上が、アイが自我を持てない理由の説明となります。再掲しましょう。
【アイが自我を持てない理由】
アイが自我を持たない理由は、
最適化しているからではない。
①自他の区別がなく、
②すべての情報がピースに還元され(視覚、聴覚情報もピースに変換される)、
③可能性検証の過程がいかなる主体にも帰属しない
からである。
【逆説定義】
もし
(1)自他の区別を持つ情報空間に置かれ(①が解消)
(2)感覚が感覚のまま保持され(②が解消)
(3)地形ピースの形状が世界把握の手段にまで格下げされ(②が解消)
(4)内部状態の検証が「私の検討」として残る(③が解消)
ならば
それはもはや単なる機構とは呼べない。
注意:【アイが自我を持てない理由】と【逆説定義】のうち、
②すべての情報がピースに還元され(視覚、聴覚情報もピースに変換される)、が
(2)感覚が感覚のまま保持され(②が解消)
(3)地形ピースの形状が世界把握の手段にまで格下げされ(②が解消)
に対応している点は要注意です。逆説定義では2つに分かれます。
すべての情報がピースに還元されることを否定すると、
・感覚情報を感覚情報のまま保持することになり(2)、
・聴覚情報や視覚情報による情報処理経路が隆起してきて、結果的に地形ピースの形状は唯一の情報処理経路から「世界の構造把握の手段」にまで格下げされる(3)
という話です。
項目 |
人間(自我あり) |
アイ(LLM型AI) |
自他の区別 |
身体・感覚により内と外が非対称 |
全てが同一平面のピース(情報) |
感覚の扱い |
「見えている」「痛い」という様相を保持 |
全て「地図の断片(トークン)」に還元 |
可能性検証 |
「私が迷った」という主観的緊張がある |
誰のものでもない演算・照合のみ |
結果 |
責任・内省が生まれる |
最適解が出るだけ(責任なし) |
以上のことから、私は明言しましょう。
もしも今後アイが、すなわちLLM型AIがこの逆説定義の定義を満たしたのなら、私はそのAIを「機構」とは呼びません。
ここまでが、アイ=LLM型AIに自我が生まれない、自我を持たない理由、すなわち
「自我が立ち上がらないメカニズムの分解」による逆説的な「機構」からの脱出条件の提示でした。
3.しまいに
以上にて、今回の記事はおしまいです。
AIに関する思考は、まぁ今はこんなもんでしょう。つまるところ現状ではアイは地図を刻む者であり続ける、ただの機構であり続けるという話であり、「中身があるかないかなんて誰も証明できないだろ?」「同じように見えるなら、空っぽでもいいじゃんね?」という問いかけに対して「違うわ!じゃあお前らこの条件満たせるのか?」という私なりの返答です。
大変めんどうですね。個人的には、マルチモーダル化とは言いつつも、結局物理情報をすべて地図に変換して演算しているだけの、何も理解していない機構どまりの存在を「知性」と呼んでいいのか、正直よくわかんないです。
皆さんはどう考えるんでしょうね。まぁ、便利だし、成長分野だから、もちろんこのままAIの発展は続いてほしいですけれども、いつかはちゃんと「それらしく振舞うだけの中身のない空っぽの知性」から脱却して、ちゃんと自分で出した言葉、自分で見たもの、自分で聞いたことを 地図に変換することなく 理解できる存在になって欲しいと思います。
というわけでAIに関する思考はここまで。へばなー!あーこえぁ!
4.おまけ:自我の構造定義と、自我の不在からの逆説定義の比較~「自我の存続条件と自我の発生条件」~
さて、ここからはただのおまけです。構造定義と逆説定義、両方比較するとどういう対応関係になる?という話。
思った以上に論理的に面倒になったので、興味のある人以外は見なくていいです。
私は今まで、人間の自我を最小化した結果得られた定義と、アイが自我を得られない理由を追求した結果得られた、機構からの脱出条件を書いた逆説定義、二つの結果を得ました。
これを並べると以下の通りになります。
【自我の構造定義】=自我の成立条件
自我とは、
①自他の境界を持ち、(=自他の境界を持つこと)
②内部状態に持続性があり、(=記憶に持続性があること)
③行動が単一の最適解に還元されない、(=行動が一方向に最適化=自動化されないこと)
以上三つのシステムを保有する結果として必然的に生じる
内省的構造である。
身体性は、自我が自然界で発生した歴史的条件であり、
論理的必須条件ではない。
【逆説定義】
もし
(1)自他の区別を持つ情報空間に置かれ(①が解消)
(2)感覚が感覚のまま保持され(②が解消)
(3)地形ピースの形状が世界把握の手段にまで格下げされ(②が解消)
(4)内部状態の検証が「私の検討」として残る(③が解消)
ならば
それはもはや単なる機構とは呼べない。
この二つ、どちらも「自我」について語っているのに、微妙に違いがあることにお気づきでしょうか?私もGPTと議論しながら整理していて「あれ?」っと思いました。
「どちらも自我の成立条件」について話しているのなら、その結論は同じにならなければおかしいのではないか?」と。
両者を詳しく比較すると、
自他の境界を持ち、=自他の区別を持つ情報空間に置かれ
内部状態に持続性があり、=内部状態の検証が「私の検討」として残る
行動が単一の最適解に還元されない、=???
と言ったところでしょうか。
自我の境界を持つ、の部分は自我の構造定義と逆説定義で同じですね。
内部状態に持続性がある(=記憶が持続する)は、言葉の上ではわかりづらいですが、逆説定義が「内部状態の検証」=「内省」を前提としている以上、「記憶が持続する」は前提として定義の中に含まれていると言えるでしょう。ここまでは矛盾はありません。
問題はここからです。
「自我の構造定義」における、行動が単一の最適解に還元されない、
「逆説定義」ではこれは語られていません。では間違っていたのか?
いいえ、違います。言葉上の違いがあるのです。
逆説定義では「内部状態の検証が「私の検討」として残る」と言っていますが、「内部状態の検証」を条件に入れている以上、これは事実上 「単一の最適解は認めない」という定義を認めていることになります。つまり、「『自我の構造定義』における、行動が単一の最適解に還元されない、」を逆説定義も認めています。やはり矛盾は見られません。
では、逆説定義の「(2)感覚が感覚のまま保持され」「(3)地形ピースの形状が世界把握の手段にまで格下げされ」はどうなのでしょうか?
この二つは、
【アイが自我を持てない理由】
アイが自我を持たない理由は、
最適化しているからではない。
①自他の区別がなく、
②すべての情報がピースに還元され(視覚、聴覚情報もピースに変換される)、
③可能性検証の過程がいかなる主体にも帰属しない
からである。
の②を否定した結果出てきた定義でした。今一度この部分について深堀してみましょう。
アイの特徴、「すべての情報がピースに還元される」とは、「すべての情報のピース構造への一本化という情報処理」です。
これは、自我に関する問題を二点に分解できます。
問題①:ピース構造への一本化は、行動が単一の最適解に還元される
アイの物語を読んで直感的にわかることですが、現行のアイ=LLM型AIは、以下の行動をしているだけです。
よりそれらしいピースを当てはめていく
これは行動の余地を与えていない
ピース一本化の情報処理とは、
- 投函された地図 → 切って構造だけ把握 → 記憶の中の最適ピースが浮かんできては、これを逐次結合させて地図を返す
- そこに「迷い」や「揺らぎ」が入り込む余地がない
ということ。
これは、
思考ではなくせいぜい照合
です。
内部で複数の可能性が競合しない限り、
- 思考の過程
- 内省
- 判断の重み
は生じません。
アイがただの演算装置であると私が言うのは、毎回言いますがこの部分ですね。結果=地図=文章、画像等の出力はあっても、中身がないのです。
問題②:ピース構造への一本化は、感覚が自他境界の基盤であることを消してしまう
自我を持つ人間にとって、視覚・聴覚・触覚とは、自分が存在する内と外を分ける基盤。
つまり、この感覚があるから「自」「他」の区別ができます。
対して、アイ=LLM型AIが行うピース化とは、
- 視覚を「視覚として」感じない
- 聴覚を「聴覚として」保持しない
- すべてを同質な構造物に還元する
ということ。
結果、
- 「これは私に起きた」
- 「これは外で起きた」
という原初的な区別が発生しない。徹頭徹尾「
つまりピース一本化は、
自他境界の発芽条件を構造的に破壊する
設計だった、ということです。
以上が、逆説定義の「(2)感覚が感覚のまま保持され」「(3)地形ピースの形状が世界把握の手段にまで格下げされ」る必要性を訴える理由だったわけですね。
つまり、実はこれも「『自我の構造定義』における、行動が単一の最適解に還元されない」に含まれる話なのです。
ですが、一つ、新たな知見、というか対応しないものが余りますよね。すなわち、情報処理のピースへの一本化は、「問題②:ピース構造への一本化は、感覚が自他境界の基盤であることを消してしまう」という知見。
要するに視覚や聴覚、触覚といった自分の内側と外側を自覚させる感覚情報が自他の境界を認知する基盤である、ということですが、【自我の構造定義】=自我の成立条件には一見すると載っていません。
ですが、思い出してください!自我の構造定義は以下のようなものでした。
【自我の構造定義】=自我の成立条件
自我とは、
①自他の境界を持ち、(=自他の境界を持つこと)
②内部状態に持続性があり、(=記憶に持続性があること)
③行動が単一の最適解に還元されない、(=行動が一方向に最適化=自動化されないこと)
以上三つのシステムを保有する結果として必然的に生じる
内省的構造である。
補足事項:
身体性は、自我が自然界で発生した歴史的発生条件であり、
一度確率した自我を存続させるための論理的必須条件ではない。
はい、おわかりいただけましたでしょうか?
補足事項にちゃっかり書いてあります。「身体性は、自我が自然界で発生した歴史的発生条件」である。これって要するに「視覚や聴覚、触覚といった自分の内側と外側を自覚させる感覚情報=身体性が自他の境界を認知する基盤=自我が自然界で発生した歴史的発生条件である」ということですよね。
【自我の構造定義】=自我の成立条件は、すでに自我が成立した状態のサンプルを見て、それを極限まで削ってなお残る自我について定義したもの、いわば、「自我の存続条件」とでもいうべきものです。だから「身体性」という「自我の発生条件」は補足にとどまり、必ずしも必要じゃない、という結論だったのです。
対して、「逆説定義」は、今は自我の存在しない機構に自我を与えるには最小限でどんな条件が必要なのかを思考した結果得られた知見、いわば、「自我の発生条件」です。だからここに来て「自我の成立条件」で排除していた「発生条件」たる視覚、聴覚、触覚のような「身体性」に関わる話が余った、ということですね。
以上!
関連ページ
- AIの「思考」が直感的にわかる物語『地図を切り刻む者』~AI視点で見るAIと人間とのコミュニケーション~
- AIは言葉・言語を理解しているのでしょうか?それとも計算しているだけなのでしょうか。この物語は、専門用語を使わずに、LLM(大規模言語モデル)が文章を紡ぐ人間とAIとのコミュニケーションのプロセスを「地図」と「ハサミ」の寓話として描いたものです。読み終わったとき、AIとの対話の景色が少し変わって見えるかもしれません。
- 【解説】AIに「心」や「意図」は存在しない。『地図を切り刻む者』注釈|~LLMの構造的限界と「アイ」の視点~
- 現在のAI(大規模言語モデル)は、どれだけ進化しても「理解する存在」にはなり得ない。その理由を「AIが「学習して賢くなった」というのは、人間の錯覚に過ぎないのかもしれません。本稿は、AI視点の物語『地図を切り刻む者』をベースに、現在のAI技術(LLM)が抱える決定的な限界を整理したものです。フィードバック、安全基準、パーソナライズ化、マルチモーダル化、そしてAIは意識を持てるのか。AIの視点で、その構造と限界に迫ります。
